2009年04月30日

高校時代で苦労した大田

ドラフトの目玉とされた大田も高校入学当初は決して
順風満帆というわけではなかった。

06年春、大田は故郷の広島から遠く離れ、東海大相模に入学した。

パワーを武器に本塁打を量産し、いきなり活躍する―。
大きな夢を抱いていたが、現実は甘くなかった。

1年春から背番号15でベンチ入りしたが、強豪校の投手が繰り出す変化球に対応できない。
1年秋の新チームでは「4番・三塁」を任されても空回り。
「俺は4番。打たなくちゃ」焦りが力みとなり、笑顔が消えた。

2年に進級しても心は晴れなかった。苦悩の中、
巨人・原監督の父、貢さんが言葉をかけてくれた。
「いいか泰示、高校野球にスランプなんて、ないんだぞ」一流が集まるプロの世界とは違う。

打てないのは実力がないだけ。スランプなんて言葉を使うこと自体、甘い。
考える暇があったら、練習しろ―。目が覚めた。
とにかくバットを振った。手のひらのマメがつぶれるたび、自信が増した。

気がつけば、野球が面白くてたまらなくなっていた。
今春には愛用のグラブに、素直な気持ちを刺しゅうにして入れた。
「一日一生 俺は野球に恋をした」。

田倉雅雄部長(53)から「調子に乗るな!!」と一喝され、
慌てて外したが、「趣味は野球です」と胸を張って言えるようになった。

今のように結果が出せなかった大田もいた。


posted by bdsdesu at 08:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月28日

大田が目指す野球像

大田が目指す野球像とはどんな姿か?

中学2年生だった04年12月、広島県内での野球教室で当時評論家だった原監督に出会い、
東海大相模にあこがれ、大のジャイアンツファンになった。
そして、ドラフト1位指名。その期待の大きさは背番号「55」にも現れている。

 「いつかは55本打ちたい。松井さんもその思いで55番を付けていたと思う。
後を継ぎたいと思います」

 松井は02年に50発を放ったが、王貞治氏の持つシーズン記録の55本には届かなかった。
背番号とともに目標も継承する。しかし、意識するのはそれだけじゃない。

 「打点もしっかり残したいですし、
打率を上げれば自然と打点も伸ばせる。
3冠?そういう高い目標を持ってやっていきたいと思います」

 史上11回しか達成されていない記録を目標設定するあたりは、
並のルーキーではない。
そのためにもまず巨人の4番の座をつかみ取るつもりだ。

 「自分は打撃が売りの選手。体にも恵まれてますし、4番を打てる勝負強さを見せたい。
3年後?21歳では難しいかな。5年後でお願いします」

 松井が巨人の4番に座ったのは3年目の95年8月。
そこから数々の伝説をつくり03年に海を渡った。
大田も将来メジャーの野望を抱くのだろうか。

 「何かの縁があって、原監督が指名してくださって巨人に入った。
ずっとジャイアンツでプレーできたらいいと思います。
そして、大田を見に行きたいと言われるような選手になりたい。ジャイアンツ愛です」

 メジャーへ行く選手が多い中、「生涯ジャイアンツ宣言」。
メジャーには行ってほしくない。ジャイアンツで本当に一流になってほしい。
posted by bdsdesu at 07:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月27日

急成長した高校3年

「技術もそうですけど、門馬敬治監督の下
でできて精神的にもすごく成長できたと思います。

自分で自立して野球ができるようになったことが一番大きいと思います。
監督からは『人間的に成長しろ』『謙虚になれ』と指導されてきました。
『相模愛』という言葉も教えられました。自分を育ててくれた学校なので感謝しています」

東海大付属相模高校での3年間を改めて振り返った大田の感想だ。

2年生までは、「高校生ナンバーワン野手」と評価されるまでには
至らなかったが、3年生になって大田は急成長した。

高校3年間で放った65本のホームランの中で最高のホームランという
2年生の時の夏の桐光学園との決勝戦で放った一発が大田を変えた。

「あの試合も結局負けて、すごく悔しい思いをして……
何て言うんですかね、もっともっと練習をしなければ勝てないんだ、とすごく感じからです」

「新チームになってキャプテンをやらせていただいて、
そこからプレーに対する考え方とか取り組み方を変えるようにして、
ホント、そこからですね。

何て言うんですか、自分もやらなきゃいけないし、周りも見てやらなきゃいけない。

その意味で自分の視野が広がりましたし、
背中で見せなければいけないというキャプテンとしての仕事もあったので、
その中で自分をうまく出せたんじゃないかと。

キャプテンをやってから変わった、といまではそう思っています」

高校3年でなにか大きなきっかけをつかんだ大田。
「高校生ナンバーワン野手」の礎はこのころにできた。
posted by bdsdesu at 07:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

教育リーグでプロ初ホームラン

宮崎キャンプの紅白戦から数えて実戦8試合目。
28打席立ち、22人の投手と対戦。88球目でやっと、やっとだ。

四回一死走者なし、カウント1−0。
大田が小杉の外よりの直球を振り抜いた。

打球は風で右に流されたが…ゴツン。
切れることなく右翼ポールを直撃した。
人生初の右翼ポール直撃弾はプロ1号のメモリアルだ。

 「こんなに早く出るなんて自分でもびっくり。
キャンプを頑張ってきてよかった。まずは親に報告したいです」

ようやく出た初アーチ。大田もホッとしていたようだ。

岡崎2軍監督も「1、2で打っていたのが1、2の3で打てるようになった」と解説。
スピードに慣れ、本来のパワーがバットに伝わり、右方向にも強い打球が飛んだようだ。

大きな注目を浴びてプロの世界に入った。

しかし、1本の安打も出ないまま2月17日から2軍での鍛錬が始まった。
打撃フォームを試行錯誤する日々の中で、「どんな球も速く見える」
から「球を長く見られるようになってきた」と
手応えをつかみかけていた。そんな成長は結果となって表れた。

「練習試合みたいなものなので、あれは本塁打じゃない。
明日はフルスイング? もちろんです」

ホームランボールは親に渡して実家に飾ってもらうそうだ。
早く一軍でのホームランが見たい。

posted by bdsdesu at 09:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月25日

ニックネームは「ビッグ」

188センチ、90キロ。

ヤンキース松井秀喜も入団当時から同じように巨体だった。

身長は大田泰示、松井秀喜共に188cmである。
体重は大田の90kgに対し、松井は104kg。
しかし入団時の松井は身長が185cm、
体重が86kgで大田より一回り小さい。


大田はそんな大きな肉体も兼ねてニックネームに
「ビッグ」を希望している。

「世間に浸透させるためにも、1軍で結果を残せるように頑張ります。レガースとかフットガードにも『BIG』って書こうかなって思っています。
ビッグスターになることが夢ですから」

大物になるという初志を貫徹するため、
「でっかい夢を持ち続けてやっていきたい」と思いを込めて、自ら選んだ。
背番号55の先輩、松井秀喜(現ヤンキース)が「ゴジラ」
としてファンに親しまれたように、活躍して浸透させていく覚悟だ。

「『メカゴジラ』を友達に勧められたけど、長いです。
『マグマ』は噴火したら終わりだし。やっぱり『ビッグ』です。
小笠原さんの『ガッツ』とトーンが似ているし、覚えやすそう。
何事も夢は大きくなくちゃいけないですからね」

ミスター、ワンちゃん、若大将、ゴジラ、ガッツ…。
巨人のスター選手は、愛称で呼ばれ、ファンに親しまれている。
それぞれ、定着したのは人気に実績が伴ったから。
大田も1軍で活躍することで、広く浸透してほしい。
posted by bdsdesu at 08:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする